一般財団法人沖縄県環境科学センター
理事・総合環境研究所 所長
小澤 宏之 博士(学術)
ジュゴン(Dugong dugon)は海牛目(Sirenia)ジュゴン科(Dugongidae)に属し、アフリカ西岸からインド西太平洋の熱帯域の浅海に生息する海産哺乳類の1種で、南西諸島はその分布域の北限にあたる。成獣で全長約3 m、体重500 kg未満で、浅瀬に発達する海草藻場で海草類(アマモ類)を専食する(図1)。なお、現生の海牛目には大西洋に生息するマナティー類(アマゾンマナティー、アメリカマナティー、アフリカマナティー)がおり、それらの生息域はジュゴンと被らない。ジュゴンの寿命は最大で73年と推定されている。本種の妊娠期間は14.5ヶ月、出産間隔は3-7年前後と推定される。新生児は、泌乳期間は13.6ヶ月から17.6ヶ月とされ、その前後で海草類を摂餌すると考えられる1)。
本種は全世界で絶滅が危惧され、IUCNのレッドリストでは本種をVU(絶滅危惧Ⅱ類)に指定し(IUCN Red List https://nc.iucnredlist.org/redlist/amazing-species/dugong-dugon/pdfs/original/dugong-dugon.pdf)、また国際条約(ワシントン条約)で取引などが規制されている。国内では、文化財保護法、鳥獣保護法、水産資源保護法、沖縄県希少野生動植物保護条例などで保護や捕獲規制の対象となっている。近年の報告によれば、世界の分布域の東側にあたる日本を含む東アジアのジュゴン個体群(中国大陸、台湾周辺海域、南西諸島等)は、最も絶滅の危険性が高い状況にあることが報告されている2)。
図1 ジュゴン(鳥羽水族館飼育個体)
日本産ジュゴンの衰退については、沖縄県の漁獲統計や当時の新聞記事などから、明治時代以降のダイナマイトを用いた乱獲により個体群の回復が望めないレベルになったと推定されている3)。しかしながら、1970年代以降も沖縄島(沖縄本島)周辺ではジュゴンの目撃情報や混獲などが断続的にあり、2000年頃までは日本産ジュゴンは沖縄島周辺にわずかに生息していると考えられていたが、2020年前後に先島諸島(八重山諸島、宮古諸島)にもヒアリングや潜水調査から現在も生息している可能性が確認されている。南西諸島に生息するジュゴン個体群は奇跡的に維持され、その機構は現在も謎であるが、黒潮を通じたフィリピンなど南方からの移動個体が個体群の維持に寄与していることも示唆されている4)。実際に沖縄産ジュゴンとフィリピン産ジュゴンは遺伝的に非常に近縁であるとの報告もある5)。
環境省や沖縄県は、日本産ジュゴンの保護対策として、平成13年より(沖縄県は平成28年から)ジュゴンや海草藻場の調査を継続している。調査が開始される以前は、日本産ジュゴンの生態については、分布域を含め生態的知見は乏しい状況にあった。当時は混獲や座礁などの情報から、沖縄島周辺にのみ生息していると考えられていたが、現在までに、ジュゴンは沖縄県の広範囲に現在も生息すること、餌場として利用されている海草藻場に関する情報などが得られている6)。また保護対策の事業では、漁網による混獲事故の低減を目的とした漁業者を対象としたジュゴンのレスキュー手法の普及などの活動が継続的に実施されている。生態解明の手立てとなる目撃情報については、漁業者からの情報提供が多く、沖縄県が収集している目撃情報では、現在までに約550件の情報が寄せられている(沖縄県環境部自然保護課ジュゴンポータルサイトおきなわ https://biodiversity.okinawa/dugong/)。ここでは、沖縄県内における2010年以降に確認されたジュゴンや喰み跡(feeding trails)の状況を図24)に示す。
図2 大型草食動物の糞が採取された場所、ジュゴンと考えられる動物が目撃された場所、ジュゴンの喰み跡が確認された場所。世界のジュゴン分布図は、Marsh & Sobtzick, 20197)に基づいて作成した。
ここまで、ジュゴンの基礎的な生態や、国内での保護に関する状況について紹介してきた。現在も日本産ジュゴンの分布や生息頭数など基本的な情報が不足している状況にあるが、2022年より海草藻場や砂浜などに打ち上げられた形で稀に見つかる大型海産草食動物(ジュゴンやアオウミガメ〔Chelonia mydas〕)の糞を対象にジュゴンのDNAの有無を検出する調査に着手した。これまでの調査では、主に海草藻場に残されたジュゴンの喰み跡からジュゴンの分布域を推定していたが(図3)、より直接的な科学的エビデンスとしてDNAの検出から、より直近のジュゴンの分布把握が可能となると考えた。DNAに関しては、水生生物を対象とした環境DNAの手法があげられる。環境DNAは、ターゲットの生物の生息(生育)地の水を採取し、試料水に含まれるDNAの有無から生物の生息(生育)状況を解析する方法で、分析機器の進歩なども合わせ近年の発展は目覚ましい。
図3 海草藻場に残るジュゴンの喰み跡
著者等は、2020年より環境DNAの手法による沖縄島周辺海域での海水からのジュゴンのDNAの検出を目指し、鳥羽水族館の協力のもと対象種のDNAのみを増幅させるジュゴンのプライマーの開発に着手した8)。開発したプライマーを用いて、沖縄県内の各海域で海水に含まれるジュゴンDNAの検出に取り組んだが、残念ながら現在まで検出には至っていない。その要因は未だ特定されていないが、水塊中のジュゴンのDNAが極めて微量であることや、分解されやすいなどの要因が推察された。そのような状況下で、2021年にオーストラリアのジュゴンとアオウミガメの糞からのDNA抽出に関する論文が公開された9)。糞便からのDNAの抽出に関しては陸上哺乳類でも実施されていたが、ジュゴンやアオウミガメの自然下で採取された糞を対象とした試みは衝撃的であった。新鮮な糞便が得られれば、水塊からのDNA検出よりも確度が上がり、それで直近のジュゴンの生息状況が把握できるのではないかと考えた。
ここで、「なぜジュゴンの生息確認に航空機調査を実施しないのか」と疑問に思われる読者も多いかと思われる。網羅的な航空機調査を高頻度で実施すれば、個体数推定など日本産ジュゴンの生態解明に寄与することは明白である。しかしながら、四方を大海で囲われ、沿岸域の広範囲に発達する海草藻場を有する沖縄県の全域を調査対象とすれば、その調査経費は莫大となる。また極めて生息個体数が少ないジュゴンを対象とする場合、見落としは致命的で、またジュゴンは外洋では存在が確認しやすいが、サンゴ砂を起源とする浅瀬にいる場合には目視確認は非常に難しい。そのため、現在は目撃情報などから調査対象を絞り込み、ドローンを用いた海草藻場の撮影を実施し、撮影画像から生息の痕跡となる喰み跡の探索と、それらの情報に基づく潜水調査を中心とした調査を実施している。
ここでは、2022年より新たなジュゴンの生息域の特定に向けた調査手法として野外で採集したジュゴンと思われる糞からのDNA抽出による取り組みに関して、2024年に公開した沖縄県内(伊良部島及び沖縄島)で採取された糞からのジュゴンのDNAの確認に関する論文をベースに紹介する4)。
ジュゴンが排泄したと思われる糞は、海草藻場や周辺の波打ち際で見かけることがある。著者はこれまでに海草藻場の海底に沈んだ大型の糞を見かけることが稀にあったが、2022年に伊良部島で確認され、後にジュゴンのDNAが検出された糞は、すべて海面を漂うものであった。糞の浮き沈みに関しては、おそらくは排泄からの時間経過、摂餌した海草種やジュゴンの体調など消化の状態に左右されるものであろう。糞の形状は人糞大の暗緑色で、匂いは牛馬に酷似し、試料によっては未消化の海草類の繊維質(地下茎部など)が僅かに確認できる。ジュゴンの糞と酷似したものとして、同所的に生息するウミガメ類のアオウミガメの糞があげられる。アオウミガメも海草類を摂餌し、糞の形状もジュゴンのそれと酷似するため、それらの採取時の識別は困難である。そのため、ジュゴンの糞の可能性が高いと予想した大型の糞でも、実際の分析ではアオウミガメのDNAが検出されるケースも少なくない。なお、著者が関わった伊良部島のジュゴンに関する特集番組「沖縄の海 幻のジュゴンを追う10)」の中で、採取された糞からジュゴンのDNA抽出の紹介がなされて以降、沖縄県内の各地から糞の目撃事例や試料提供が飛躍的に増加している。
現地で糞を採取した場合、DNAの分解を防ぐために出来るだけ早くエタノールなどに保存し冷蔵する必要がある。しかしながら沖縄県内の離島で地域住民の方が糞試料を採取した場合など、手元にエタノールの備蓄がない場合がほとんどであり、そのような場合は市販の消毒液であるオスバン(10%塩化ベンザルコニウム溶液、アリナミン製薬株式会社)を、糞を含む海水試料1リットルに対し0.5 ml滴下し冷凍保存する。なお、現在は糞の採取事例が多い島々には、予め保存容器やエタノールなどを配布するなどの体制を取っている。採取試料については、出来るだけ早く沖縄島の研究所に冷凍空輸し、到着後速やかにDNAの抽出に着手した。DNAの抽出には、QIAamp Fast DNA Stool Mini Kit(Qiagen社)を用い、糞試料の固体部分の表面約100 mgを滅菌スパチュラで採取し、50 μLの溶出液を得た。糞試料には、通常PCR阻害物質が多く含まれ、それら阻害物質がPCR反応を抑制することから、QIAamp Fast DNA Stool Mini Kitを用い、それらを効率的に除去することが重要である。
ジュゴンの種特異的なプライマーに関しては、オーストラリアでの先行研究に従った9)。プライマー配列は、F:5'-CGCGCGCTATGTACTTCGT-3'、R:5'-GGGGTAAGTAGTGTAATGCACG-3'、産物サイズは110 bpである。抽出したDNAサンプルは、1サンプルにつき1ウェルで2段階PCRを行った。PCR溶液の組成は、iProof HF Master Mix(Bio-Rad)12.5 μL、10 μMプライマー各0.5 μL、DNA溶液1 μL、滅菌水10.5 μLで、総量は25 μLである。PCRサーマルサイクラーとしてBiometra TOne(Analytik Jena社)を用いた。PCRは98℃で45秒間保持し、98℃で10秒間、65℃で30秒間、72℃で15秒間のサイクルを35回繰り返した後、72℃で5分間伸長反応を行った。陰性コントロールとして超純水を用い、陽性コントロールとして2019年3月に沖縄本島今帰仁村沿岸付近で発見されたジュゴンの死骸の筋肉から抽出したDNAを用いた。陰性コントロールと陽性コントロールの両方のサンプルを各PCRランに含めた。
糞便から抽出したDNAの検出率を高めるため、2段階PCRを行った。2段階PCRは、1回目のPCR産物を滅菌水で100倍希釈し、2回目のPCR鋳型として用いた。2回目のPCRで使用したプライマー、PCR条件ともに1回目のPCRで使用したものと同じである。
2回目のPCR後の各反応液を、電気泳動により増幅産物の確認を行った。電気泳動装置はMupid-exU(株式会社ミューピッド)を用い、アガロースゲルは、Agarose S〈錠〉(株式会社ニッポンジーン)を2 g、DNA蛍光染色試薬としてミドリグリーンアドバンス(日本ジェネティクス株式会社)を6 μL、1×TAE緩衝液を100 mL加えて作成した。電気泳動緩衝液は1×TAE緩衝液を用いた。DNA分子量マーカーは、100 bp DNA Ladder(タカラバイオ株式会社)を使用した。トランスイルミネーターはIlluminator UltraSlim UV(Gel Company社)を用い、増幅産物の確認を行った。シーケンス解析に用いるDNAを得るため、ジュゴンのDNA特有の配列と推察される産物(110 bp)を切り出し、アガロースゲルからのDNAの抽出はNucleoSpin Gel and PCR Clean-up(MACHEREY-NAGEL)を用い、キットの操作方法に従った。抽出されたDNAはQuantus Fluorometer(プロメガ株式会社)とQuantiFluor dsDNA System(プロメガ株式会社)を用い濃度を測定した。
沖縄県の伊良部島や沖縄島などで採取された糞の分析結果であるが、図44)に示すように伊良部島や沖縄島久志で採取された糞からジュゴンと思われる増副産物が検出された。
図4 ジュゴンの特異的プライマーを用いた糞のPCR後のアンプリコンのアガロースゲル電気泳動パターンの写真。レーンA1及びA15:DNAラダー、A2-12:2022年8月に伊良部で採取した糞、A13:陰性コントロール、A14:陽性コントロール、B1及びB17:DNAラダー、B2-4:2022年6月に伊良部で採集した糞、B5-7:沖縄島名護市久志で採取した糞、B8-10:屋那覇島で採取した糞、B11-13:陰性コントロール、B14-16:陽性コントロール。各レーンは糞便サンプルから抽出したDNAの各レプリケートを示す。A及びBの各糞サンプルのDNA抽出は、それぞれ1回及び3回の反復を行った。
増幅産物については、塩基配列を決定したのちBLAST検索を行った。DNAの蛍光標識は、SupreDye v3.1 Cycle Sequencing Kit(EdgeBioSystems)を用い、サイクルシーケンス後の精製はSupreDye XT Purification Kit(EdgeBioSystems)を用いた。DNAシーケンス解析は、小型キャピラリー電気泳動シーケンサー DS3000(株式会社 日立ハイテク)を用い、得られた塩基配列をBlast(National Center for Biotechnology Information)において、ジュゴンの塩基配列データと比較した(図5)。その結果、増副産物はBLASTで登録されているジュゴンDNAの塩基配列と完全に一致し、伊良部島や沖縄島久志に現在もジュゴンが生息することが確認された。
図5 小型キャピラリー電気泳動シーケンサー DS3000(株式会社 日立ハイテク)によるDNAシーケンス解析
ジュゴンは熱帯性海草藻場生態系において、生物多様性の維持に大きく関与するアンブレラ種であり、本種の絶滅は沿岸生態系の劣化に直結する。現在まで沖縄の沿岸にこれほどの大型動物が密かに生き残っていたのは奇跡的であり、この事実は沖縄の沿岸生態系の豊かさが残されていることを示している。NATURE POSITIVE(自然再興)の分岐点である時代に、ジュゴンや海草藻場を含む沿岸生態系の保全は私達世代に課された大きな課題である。
糞の解析は、これまで推定されていたジュゴンの生息状況に科学的エビデンスを付加するものとして有効な手法である。今後は近年報告があった糞からの核DNAの抽出にも取り組み11)、未だ謎の多い日本産ジュゴンの個体判別や生息個体数、さらに島嶼間の移動などの行動解明に取り組んでいきたい。
参考文献
登録記事数 203件
まだまだあります。