調理科学には、さまざまな研究方法のアプローチがあります。調理操作、食品成分の分析、食品物性、計量心理学(官能評価)、食文化、そして食品組織学的研究も、その重要な一部を担っています。
食品の味わい、硬さ、歯ざわりなどのテクスチャーとその構造は密接に関連しており、食品組織学は食品それぞれの性質を調べるために、組織構造の観察技術とともに進化してきました。
今回は、顕微鏡による組織構造の観察技術を開発し、多くの功績を挙げてきた峯木眞知子教授に、食品組織学研究の進化と電子顕微鏡とのかかわりについてうかがいました。
東京家政大学
家政学部栄養学科 教授
応用調理学研究室 博士(農学)
峯木 眞知子
人が健康で、快適な暮らしを営むための基礎は、安全で、栄養バランスのとれた、おいしい食事である。そして、そのカギを握っているのが調理である。
そもそも食品組織学とは「生鮮品あるいは調理加工された構造や物質の存在を、顕微鏡の助けを借りて視覚的に把握することを追求する学問」と定義されている。調理のプロセスがわずかに変化しただけでも、味わいには差が生じるが、その差がどこから生まれるのかを解明する方法の中で、食品組織学は非常に有力な手段だと考えられてきた。
「誰でも確実においしい食事をつくるには、どんな方法があって、どうしておいしくなるのか?を科学的に解明することが調理学の課題です。特に、構造は重要なヒントをくれます。例えばプリンのなめらかな口当たり。これは脂肪の量と分散状態によるものです」と峯木教授は話す。
つまりクリームの種類(動物性か植物性か)と配合によって、プリンの組織構造にどのような影響があるかを観察し、解明できれば、おいしいプリンの味わいを再現することが可能になるわけだ。
「構造を解き明かすことができれば、例えばメーカーが商品を開発するときのデータにもなります」。
なぜおいしいと感じるのか、おいしい食べ物を作るにはどうするのか、どうしたらおいしくなるのか。前述のとおり、調理科学はこれらの理由を知るための科学だが、なかでも食品の組織構造を観察することは視覚に訴え、誰もが理解しやすい方法だと、峯木教授は言う。
「構造分析は、食品の物理的特性と関連している構造的な特徴を可視化して、誰にでもその食品の変化を理解しやすくします。調理科学的研究はおいしさを知る研究ですが、組織観察をしている研究者の誰もが『おいしいものの構造は美しい』と言います」。
『おいしいものの構造は美しい』。このことは構造がおいしさに大きく関連していることを示している。表面や内部の構造が異なれば、テクスチャーは異なり、それには成分も関与する。また、成分の違いは、組織化学的検出やX線分析などから、そこにある構造の存在を知ることもできる。つまり、食品の構造を分析することで、調理科学はより多くの手がかりを得ることができる。
峯木教授の40 年以上にわたる研究は、調理科学の体系化のためでもあった。峯木教授にとって、女子大の調理学研究室の助手に就職したことが、この道に進む最初のきっかけとなった。
「調理実習の授業で、学生から『なぜこの調理法なのか』を質問されてもすぐに回答ができないことが多く、その疑問を解明したいと思うようになりました」。
いまではあまり一般的ではないが、当時はカリフラワーをゆでるときに小麦粉を加えたり、イチゴを洗うときに塩水を用いたりということが当たり前だったそうだ。
「でも、当時その理由はどこを調べてもありませんでした」。
その疑問を解く方法として、当時は化学成分分析が多く用いられていた。しかし、峯木教授は、成分分析より、もっと誰もが理解しやすい方法はないのかと考えた。
「そのときちょうど、隣の食品学研究室の教授が、パンの生地とそれを焼いた食パンの切片を染色して、成分による染め分けできることを教えてくださいました。その時に観た光学顕微鏡画像は、パンの切片のデンプンがピンク、グルテンがブルーに染まっていて、とても美しかったことに魅了されました」。
峯木教授が構造の研究を選んだ瞬間だった。最初はパンの研究を行い、加工過程に従って、変化する脂肪の存在を観察した。その後、大学に走査電子顕微鏡(以下、SEM)が入り、さまざまな食品の構造観察が始まる。光学顕微鏡像とSEM像を比較することにも、このときすでに取り組んでいた。SEMの試料作製方法は、日本女子大学の大隅正子教授による電子顕微鏡学会セミナーで実技指導を受けた。指導者にも恵まれたという。
「食品組織学研究会を立ち上げ、顕微鏡観察を導入された共立女子大学元教授の松本ヱミ子先生には、長年、ご指導いただきました。当時は、先生が行き先々で食べた、興味のある料理を全部持って帰ってこられて、SEMで観察するように言われました。おかげで毎週毎週の授業の間に、動物性・植物性を問わず多くの食品を切片にしては観察することを繰り返しました」。
繰り返す観察で磨かれたスキルは、その後の研究の深化へとつながっていく。
図1:食パンをグルタルアルデヒド・オスミウム酸固定後、乾燥し、Auでイオンコーティング後、走査電子顕微鏡(日立S-4000)で観察(矢印:加熱により糊化変形した小麦粉のデンプン粒)
食品組織学を確立した東北大学畜産形態学研究室(現:機能形態学研究室)のもとで、卵の調理加工の研究で学位をとることを勧められた峯木教授。
「卵の構造の研究は1940年代から始まっていましたが、卵を固定※ 1 することはかなり難しく、特に生の卵黄では、固定された一部だけを試料にして観察するにとどまっていました」。
誰でも知っていると思っていた、卵全体やミクロの構造は、当時まだ明らかにされていなかったわけだ。
「そこで、光学顕微鏡、SEMの他に透過電子顕微鏡(以下、TEM)による観察をすることになりました。これは初めての経験でしたから、かなり苦労しました」。
峯木教授は、まず卵黄全体を液体窒素で凍結した後に割断し、温めた固定液で固定する方法で、生卵の外側、内側、中央部(ラテブラ部)を観察することに成功。成果は、Journal of Food Scienceに投稿した。
「卵黄球を観察すると多面体になっていて、卵の中央と端の方でも形状が違っています。物理的な影響を受けた卵の形が卵黄球に影響している。これで、生の卵黄の基本構造を知ることができました。また、生みたての卵と、一定期間貯蔵した卵の構造変化を、主にTEMでとらえ、調理の際の加熱による構造の差異、調味料による影響なども解明することができました」。
この研究で、峯木教授は東北大学農学博士の学位を取得した。
「卵にはまだまだ研究の余地があります。特に、たんぱく質の供給源として、卵は、比較的安価で、流通コストも低いため、人口が急増している国・地域にとって、重要な食材だと思います。牛肉は飼料効率の面でロスが多いと言われていますし、一番たんぱく質が豊富なのは昆虫ですが、その次に豊富なのは卵です。どんな食材とも合わせることができ、スイーツにも料理にもなるように、用途も広い」と鶏卵の可能性を話す。
図2 卵黄球のSEM像
A:生卵の卵黄
B:固ゆで卵の卵黄外層部
C:固ゆで卵の卵黄中央部
峯木教授と日立との出会いは東北大学で学位を取得するための研究に取り組んでいるときだった。
「東京から通うのは大変だったので、都内で実験ができる環境を見つけなさいと言われました。そこで東京大学の農学部にお世話になり、日立の電子顕微鏡を使うようになりました。最初は不慣れなため苦労しましたが、次第にグレーのトーンの柔らかさが良いと思うようになり、その後、日立の技術者の方には、技術的な課題を解決する際に、いつもお世話になっています」
その後登場した低真空で観察が可能な卓上SEMは、試料準備に時間をかけず、そのまま観察できるという点に感心したと峯木教授は語る。卵殻の断面、表面もそのまま観察でき、元素分析を用いて、卵殻の外側にはカルシウムが多く、内側にはマグネシウムが含まれることもわかったという。
「光学顕微鏡や電子顕微鏡は、試料をうまく作る技術が必要です。観察までの時間がかなりかかるため、実験の意欲がそがれることも少なくありません。特に、電子顕微鏡では、固定材をはじめ、使用する薬品も高額ですし、機械も高額です。一方、卓上SEMは安価ですぐに観察できるため、食品・家政系大学でも導入するところが増えてきました」。
最近では、卓上SEMを学部生の卒論のために使用したり、大学院生の研究に活用される例が増えているそうだ。すぐに使え、可視化できるため、学生にも理解しやすく、学習効果が上がる点が評価されている。
「あまり場所を取らないところも魅力です。とはいうものの、食品は水分が多いため、固定しない場合の画像は鮮明ではなく、人工像※2を見ているのかどうかの判断も難しいという課題がありました」。
日本家政学会の食品組織部会の代表を20年続けている峯木教授のもとには、画像が鮮明ではないといった苦情がしばしば寄せられていたという。
「現在の卓上 SEM Miniscope®では、二次電子画像もかなり鮮明になり、本当に楽に観察できるようになりました。さらに研究の加速に貢献したのが元素分析です。まず、異物かどうかの判断ができますし、加工で生じた結晶かどうかもわかります。組織における調味料の浸透速度や状態も元素分析を利用すると理解できます」。
こうした画像を授業に取り入れることで、学生の理解度はさらに向上し、教育効果も高まるそうだ。
「いま、取り組んでいるのは、酵母の違いによるパンの気泡やエスプーマの気泡の状態です。特に、エスプーマは、安全で、おいしく味わえる介護食としても注目をあびている新しい調理方法です」。
エスプーマは、世界で最も予約がとれないレストランの一つとして名をはせたスペイン「エル・ブリ」のシェフ、フェラン・アドリアが広めた調理方法だ。泡状のため、食べやすく口どけがよく、食材の香りを感じやすいという特徴がある。摂食・嚥下が困難になった高齢者や患者でも、誤嚥の危険が少なく口から食べられる食事として、食支援の大きな一助になると期待されている。さまざまな食材、和食の味覚を加えることで、親しんだ味わいのレシピを開発することができれば、食を通じたQOL向上にもつながる。
テクスチャーに影響する気泡については、水分を含んだ試料でも、すぐに観察できる卓上SEMが大いに役立った。
「気泡の状態を見るために凍結し、すばやく観察しました。画像解析にかけ、気泡の大きさ、形状や量を調べることで、密度や体積の関係、またテクスチャー、口どけとの関係を知ることもできました」。
エスプーマ法では豆乳クリームを加えて泡状にした場合も試したそうだ。豆乳クリームであれば乳アレルギーの人も食べられる上、なめらかで高カロリーのため、低栄養状態の人にも向いている。飲み込みの様子は内視鏡で観察して確かめたという。
「気泡が小さいほうがやわらかく、大きいと厚く、太くなることがわかり、脂肪量、泡の構造と嗜好性との関係が強いことも確認できました。エスプーマは、泡が弾けたときに食材の香りが広がるため、食事を楽しむこともできそうです。高齢者だけでなく、離乳食、幼児食、食事をスムーズに食べることができない障がい者などにも応用できるでしょう」。
図3 エスプーマ
左:SEM観察画像、右:調理画像例
調理科学分野の今後の発展には、これまでと同様、マクロな視野での観察とミクロの観察の両面が必要だと語る峯木教授。
「低真空SEMのおかげで、水分を含んだ試料も簡単に観察できるようになりました。しかし、白黒画像ですと、やはり成分まではわかりにくく、調理加工による人工的な形態を誤認してしまうケースも多々あります。初歩的ではあっても、全体像の写真を撮る、断面をコピーするなど、マクロな観察は今後も欠かすことはできません。光学顕微鏡で形態を捉えると同時に物質の同定をしてから、電子顕微鏡像を使用すると、マクロからミクロに至る組織像の理解が深まるからです。希望としては、ぜひ、光学顕微鏡での二重染色などの画像と、SEM画像とを容易に組み合わせられるように工夫してほしい」と、顕微鏡技術者へのエールを送った。
(インタビュー・文:山口としなり)
参考文献
編集後記
2 度目の緊急事態宣言発出によって、オンラインでの取材となった今回。
しかし、峯木先生の口調からは、小さなパソコンの画面を通してでさえ、食品の構造を解き明かすことへの尽きぬ興味と、食品組織学の可能性をひらくことへの熱意が伝わってきた。食品の構造を知ることが、調理科学の進歩と、さまざまな商品の開発に役立つことはもちろん、高齢者や障害者のQOLの向上にも貢献することがわかり、また一つ研究者の取り組みに希望を見ることができた。研究の目的をどこに置くかによって低真空SEMの使い道がさらに広がることを実感した取材となったことにも感謝したい。
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