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  • SI NEWS INTERVIEW Vol.26 持続可能な農業の実現に資する生物的防除 ~生態学と分子生物学の学際研究で害虫防除の革新をめざす~

持続可能な農業の実現に資する生物的防除

~生態学と分子生物学の学際研究で害虫防除の革新をめざす~

世界人口の急激な増加による今後の食糧不足が懸念されるなかで、気候変動を背景とした干ばつや水害、病害虫による農作物の被害が世界各地で拡大しています。国内では少子化に伴い生産者の高齢化が進むなど、今日の農業はさまざまな問題に直面し、持続可能性をいかに高めていくかが課題となっています。とくに病害虫の防除では、現在の主力である化学農薬において薬剤抵抗性などの問題が深刻化し、新たな防除法の確立が求められています。その有効な解決策として期待されるのが、天敵を利用して病害虫の防除を行う「生物的防除」です。この分野の第一人者である京都大学大学院農学研究科の日本典秀(ひのもとのりひで)教授に、生物的防除の利点や現在注力している研究テーマ、研究におけるゲノム解析技術の活用について伺いました。

京都大学大学院農学研究科 地域環境科学専攻 生産生態科学講座 生態情報開発学分野 教授 日本典秀 博士( 農学)

京都大学大学院農学研究科
地域環境科学専攻
生産生態科学講座
生態情報開発学分野
教授
日本典秀 博士( 農学)

天敵生物を活用した害虫防除

気候変動などの影響により、近年、世界的に農作物の病害虫被害が拡大している。害虫防除技術の研究を専門とする京都大学の日本典秀教授は、1匹1匹は小さくても、害虫による農業の損害はけっして小さくないと指摘する。「害虫・害獣、病気、雑草などの有害生物により、全世界の作物は本来可能であるはずの収穫量の約4割を失っていると試算されています。定期的な農薬散布をはじめとする対策がとられているにもかかわらず、それだけの損害が出ているのです。逆に言うと、それらの被害をなくすことができれば、農作物の収穫量は現在の1.7倍近くまで増やせる可能性があります」

病害虫防除のための農薬散布は、暑い夏でも長袖、マスクにゴーグルなどを着用して行う大変な作業である。それでも損失が生じるのでは報われない。
「化学農薬には薬剤抵抗性という大きな問題があります。同じ系統の殺虫剤や殺菌剤を使い続けると生き残る害虫や病原菌がだんだん増え、やがて効かなくなってしまうのです。日本国内では少子高齢化によって農業の担い手が不足し始めており、農作業の省力化や効率化が求められています。農薬散布の負担を軽減し、農作業の労働環境改善を図ることは、新規就農者を増やすためにも重要です。『生物的防除』は、それらの課題を同時に克服する方法として期待されています」

主に化学的に合成された物質を有効成分とする化学農薬で害虫や病原菌を防ぐ化学的防除に対し、病害虫の天敵となる虫や微生物を利用して防除することを「生物的防除」と呼ぶ。生物的防除には、化学農薬と同様に登録・市販されている天敵生物(天敵資材)を購入して農地に放つ方法と、周辺に生息する土着の天敵生物を農地に呼び寄せて活動してもらう方法があり、日本教授はその両方について研究している。

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自然のメカニズムを利用する生物的防除

農作物につく害虫には多くの種類があるが、日本教授はハダニ、アザミウマ、コナジラミ、アブラムシなどの微小害虫とその天敵生物を研究対象とする。「微少害虫は寿命が短く10日程度で卵から成虫になるため、1年間に何十代も世代交代します。そこに繰り返し化学農薬をかけていくと、生き残りがどんどん選抜されて、あっという間に抵抗性を獲得してしまうのです。さらに近年では環境基準が厳格化して新しい化学農薬の開発に時間もコストもかかるようになり、使える農薬の種類も限られつつあります」

農林水産省は2021年に策定した「みどりの食料システム戦略」において、食料・農林水産業の生産力向上と持続可能性の両立を実現するための取り組みの1つとして「化学農薬のみに依存しない総合的な病害虫管理体系の確立・普及を図り、2050年までに化学農薬使用量50%低減をめざす」としている。その目標達成のカギを握るのが生物的防除だ。「生物が自然に築いてきた捕食関係や競合関係をうまく利用して病害虫に対抗していくことは、生態系への影響も少なく、農業の持続可能性を高めることにつながります」と日本教授は意義を強調する。

ただ、自然のメカニズムを利用した生物的防除は利点が大きい一方で、生き物を扱うが故の課題もある。「害虫がいないとき、少ないときに天敵を放っても餓死したり余所へ行ってしまったり、逆に害虫が多すぎると食べきれないなど、使うタイミングや量の見極め、コントロールが難しいのです。それを安定的に利用できるようにすることが私の研究の柱です。具体的には、対象害虫と天敵の生態を解明すること、そして市販する天敵資材に関してはよりパフォーマンスの高い系統をつくることの二本立てで研究を進めています」

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ムーンショット研究プロジェクトに参画

日本教授が現在注目している天敵生物の1つがハダニ類の天敵、カブリダニ類だ。ハダニは植物の葉の裏に集団で寄生し、植物の汁を吸って栄養源とするため、大量に寄生されると植物は生育不良になり、ときには枯死してしまう。分布域が広く、あらゆる植物に寄生するやっかいな害虫で、主要種であるナミハダニはとくに薬剤抵抗性が発達しやすいことから世界各地で大きな問題となっている。
研究室では、害虫のナミハダニや天敵のカブリダニなどを飼育、繁殖させて実験室環境下での調査や解析を行っているほか、各地の研究機関との共同研究を実施し、実際の農地で採取したサンプルやデータの解析を行っている。

「現在は内閣府のムーンショット型農林水産研究開発事業に参画し、『先端的な物理手法と未利用の生物機能を駆使した害虫被害ゼロ農業の実現』を目標とする研究プロジェクトを取りまとめています。具体的には、青色レーザー光による殺虫技術、優れた天敵系統の育種や行動制御といった新たな防除技術を開発、組み合わせることによって化学農薬に依存しない害虫防除体系の確立をめざすプロジェクトです。育種や行動制御の研究にはゲノム解析が不可欠なことから、研究予算で日立ハイテクの小型キャピラリー電気泳動シーケンサー DS3000(以下、DS3000)を導入し、活用しています」

育種については主に農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)の共同研究者が担当し、最先端の育種法である「DNAマーカー育種(※1)」に取り組んでいる。
「天敵資材は屋外に放たれるため、遺伝子組換えは規制されており、ゲノム編集も場合によっては規制対象となります。そこで、ゲノム編集やRNAi(※2)などの手法を利用して優れたパフォーマンスにつながる遺伝子を効率的に見つけ出し、その遺伝子を持つような自然交配パターンの確立をめざしています」

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※1 DNA マーカー育種
有用な遺伝子の近傍にあり目印となる塩基配列(DNA マーカー)を利用して選抜を行う育種手法。従来の育種では、交配で生まれた個体が目的の形質を持つかどうかは実際に育ててみなければ判断できないが、DNA マーカー育種では、目的の形質に関わる遺伝子さえ明らかになっていれば早い段階でマーカーの有無による選別ができ、育種の大幅な効率化が可能になる。

※ 2 RNAi
RNA interference の略。RNA 干渉とも言う。二本鎖RNA により相補的な配列を持つmRNA が特異的に分解されるという遺伝子抑制の機構を利用し、目的の遺伝子発現を抑制するノックダウン手法。

ゲノム解析により天敵生物の系統を明らかに

一方、日本教授が中心となって研究を進めているのは天敵生物の行動制御だ。農地周辺に生息する土着の天敵生物を誘引する方法や、農地に放った天敵資材を定着させる方法を確立するため、天敵生物の行動特性の解明に取り組んでいる。
「生物の誘引物質というと性フェロモンが有名ですが、われわれはHIPV(Herbivore-Induced Plant Volatiles:植食者誘導性植物揮発性物質)に注目しています。これは植物が害虫(植食者)の被害を受けたときに放出する揮発性の物質で、その害虫の天敵を呼び寄せる性質があります。1980年代に発見されたものの、さまざまな物質で構成され、植物の種類や品種によっても成分が異なることなどから解明がなかなか進まず、最近になって揮発性物質の感知に関与する遺伝子や、物質の感知と行動との関係性が明らかになってきました。これを利用して天敵誘引剤を開発できれば、周辺の土着天敵を農地に呼び寄せ、滞留させることも可能になると考えています」

そのためには、土着天敵が普段どこにいるのかも解明しなければならない。農地周辺の雑草にいるのか、離れた山林にいるのかによって、対応が変わってくるからだ。「近くに棲息しているなら呼び寄せることを、遠くにいる場合は来たものを滞留させることをメイン考える必要があります。そのために、農地とその周辺各地の天敵生物のゲノムを解析し、遺伝系統を明らかにして移動や分布の状況を把握することに取り組んでいます。その際に活用しているのがマイクロサテライトと呼ばれる反復塩基配列です。これを調べることで、同一種内の系統関係や個体群内の血縁関係が解明できます」

高感度なフラグメント解析で多くの成果

近年、DNAシーケンサーの普及に伴って幅広い領域でゲノム情報が活用されているが、生態学、とくに害虫防除の分野では、害虫とその天敵を実験室で安定的に飼育、繁殖させる手間などがハードルとなり、なかなか活用が進んでこなかった。そうしたなか日本教授は、生態学に最新の分子生物学の知見を融合させることで新たな領域を切り拓いている。
 「ゲノム情報を活用するためには、研究室に置いて手軽に使えるDNAシーケンサーが不可欠です。いちいち外注に出していたのでは時間も費用もかかりますし、とくに私の研究室では外注だとあまり対応してもらえないフラグメント解析を多用しているため、デフォルトのアプリケーションとしてフラグメント解析が搭載されているDS3000はとても重宝しています。消耗品がそれぞれカートリッジ方式で無駄なく簡単に交換でき、メンテナンスも楽なので学生にも使いやすいようです」

日本教授の研究室では、前述した天敵生物の分布把握のほか、天敵生物の食性の調査にもフラグメント解析を活用している。天敵生物が農地で目的とする害虫を食べているのかどうか、害虫がいないときには何を食べているのかは、行動制御において重要なデータとなる。
「農地で採取してきたカブリダニをまるごとゲノム解析すると、消化器官の内容物のDNA も検出されます。ある害虫を食べたかどうかを調べようと思ったら、その害虫のDNAマーカーをつくっておき、検出できるかどうかを見ればいい。害虫に特異的なプライマーを使ってPCR を行う方法もありますが、消化分解が進んでいると検出効率が非常に悪いのです。その点、蛍光プライマーを使ったフラグメント解析なら高感度で検出でき、1塩基の違いも見つけられますから、食べられた害虫がアザミウマならアザミウマ目というだけでなく個別の種まで判定できます。われわれの研究対象はマウスのように一般的な生物ではないため、フラグメント解析ではマーカーの開発から行う必要があり、試行錯誤を伴います。でもシーケンサーが手元にあればいろいろ試すことができ、濃度を変えて流すといった自由な使い方ができるのも有り難いですね」
高精度なフラグメント解析によって、これまで経験的に推察されてきた事象に科学的な裏付けが得られた例もある。例えばカブリダニ類は捕食する害虫がいないときには植物の花粉を食べていると考えられており、飼育下でもそうした様子が確認されていたが、実際の農地で採取したカブリダニのフラグメント解析で植物の遺伝子が検出され、そのことが証明された。
「花粉に含まれるタンパク質で命をつないでいるのでしょう。このことから、花さえ咲いていれば害虫がいなくても天敵生物が農地にとどまっている可能性が高いと推察されます。カブリダニの体長は0.5 mm 程度で、肉眼で数を確認して回るのは現実的ではありませんが、花が咲いているかどうかは一目瞭然ですから、天敵生物が農地にいるかどうかを判断する目安として利用できると考えています」

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農地の多様性を高め、労力も軽減

日本教授は、これからの農業ではIPM(Integrated Pest Management:総合的病害虫・雑草管理)の概念が重要になると話す。従来の対症療法的な化学農薬による病害虫・雑草の防除ではなく、多様な手段を組み合わせて病害虫・雑草を合理的に管理しようという考え方だ。
「天敵生物が花粉を食べることを利用して、作物以外の花を植える試みも進んでいます。天敵温存植物と呼ばれ、例えばマリーゴールドは花粉が多いことに加え、マリーゴールドを好む種類のアザミウマが発生するため、それらをエサとする土着の天敵生物の誘引や、土着・市販天敵の定着に効果を発揮します。実際にナス畑の周囲にマリーゴールドを植えることで化学農薬の削減に成功している地域がありますし、花期の異なる複数種の天敵温存植物を組み合わせ、常に花が咲いている環境をつくる研究も進んでいます」

近代の農業は、農地の中を作物しかない均一環境とすることで効率化をめざしてきたが、多様性に乏しい環境は害虫などの外部からの脅威に弱いというデメリットがある。植物も動物も含めて畑そのものの多様性を高めることができれば、生物間のバランスが保たれ農地の生態系全体が安定すると考えられる。

「日本の農地はもともと多様性が高いため、化学農薬を減らしていけばそれを取り戻せると考えています。そのためには農業を個々の生産者さん単位ではなく地域全体で考える必要があり、害虫と天敵生物、植生などの周辺環境との関係性、相互作用を地域レベルで解明していくことが重要になります。最終的には、作物や天敵温存植物を定植して天敵資材を投入したり、土着天敵生物を呼び寄せる策を施したりすれば、あとは放っておいても大丈夫、という害虫管理を実現したいですね」と夢を語る日本教授。私たちが生きていく上で欠かせない農作物の生産者を悩ます害虫を何とかしたいという思いから始めた研究を、これからもいっそう発展させていく決意だ。「生産者さんの労力が減り、環境も豊かになる、持続可能な農業の理想型をめざします」

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(取材・記事:関 亜希子、撮影:秋山由樹)

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