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黒鉛炉原子吸光光度計を用いたホウ素の原子化機構
—Fe修飾剤による分析性能の向上とその働き—

Atomization Mechanism of Boron in Graphite Furnace Atomic Absorption Spectrometry
- Improvement of analytical performance by Fe modifier and its role -

徳島大学大学院 社会産業理工学研究部 助教 山本 祐平

徳島大学大学院
社会産業理工学研究部
助教
山本 祐平

はじめに

黒鉛炉原子吸光法(GFAAS)は、10 µL程度の極少量の試料を黒鉛製の管状炉に導入し、電気加熱(1000 ~ 3000℃)することで原子化し、元素固有の吸光波長の光を測定することでナノグラムからピコグラムレベルの極微量元素を定量可能な吸光光度法である。GFAASは登場以来、機械的な改良および前処理や分析法の改良により高感度化や強干渉下での測定などの発展を遂げてきた。しかしながら測定原理上、原子化温度が高く加熱時に揮発性を示す元素および難分解性炭化物を生成する元素については課題が残っている。
ホウ素は生体必須元素であるが、過剰摂取によって内臓疾患を引き起こす。そのため用水中の濃度には基準値が設けられている1)。一般的なホウ素の用途はガラス製品、医薬品、メッキ、殺虫剤などである。温泉水はしばしば環境基準値(1 mg/L)2)を超える。従って環境化学および公衆衛生の観点からホウ素の定量は必要である。近年では、がん治療のためのホウ素中性子捕捉療法(BNCT)において血中ホウ素の迅速微量分析が求められている3)。一般に溶液中の微量ホウ素分析にはICP発光分析法およびICP質量分析法が用いられているが、前処理法および必要試料量の点で改善の余地がある。ホウ素は常温常圧の水溶液中でホウ酸(H3BO3)の形態が安定であり、沸騰時には水蒸気蒸留によって容易に気化散逸する4)。一方、黒鉛炉内ではホウ素と炭素が温度上昇に伴い安定なホウ素炭化物(B4C)を形成し、市販のGFAASの上限温度付近(2800 ~ 3000℃)でも黒鉛炉内に留まる。また灰化~原子化の段階では揮発性のホウ素酸化物も形成される5)。従って気化散逸と難分解性化合物の生成の両方の性質を併せ持つホウ素をGFAASで定量することは分析性能の面で困難であると考えられていた。事実、化学修飾剤の添加なしではmg L-1レベルのホウ素を測定することもできない。Ca、Ti、Mg、クエン酸、アスコルビン酸などの修飾剤とZrコーティングを用いることで、20 ~ 200 µg L-1の検出限界測定できることが報告されている6-8)がICP発光分析およびICP質量分析の水準には及んでいない。
本稿ではFe修飾剤を用いることでホウ素の検出限界を向上させることができたことに関連し、i)Fe修飾剤の評価9)、およびFe修飾剤使用時のホウ素の原子化機構について ii)分光学的なアプローチ10)と、iii)速度論的なアプローチ11)で解析を行った研究の3つについて解説を行う。

GFAASを用いたホウ素定量におけるFe修飾剤の評価

図1はZA3000およびZ-2710を用いてFe修飾剤を使用した際のホウ素(80 ng)の吸光度プロファイルである。比較対象として既報で使用されていたCa修飾剤についてZA3000を用いた吸光度プロファイルを示す。Caは最大吸光度が0.30と高い値を示したが、RSDは0.349と繰り返し再現性は低かった。Feは最大吸光度は0.27とCaより低かったが、RSDは0.0368と繰り返し再現性はCaより高かった。既報ではCa修飾剤はコーティング剤と同時に使用されており6-8)、低い再現性はコーティング処理を行わなかったためと考えられる。一方Fe修飾剤はコーティング処理なしで高い再現性と十分な吸光度を得られている。コーティング処理は時間と手間を要し、また測定回数とともに効果が低下していく。そのためコーティング処理なしで安定な測定が可能なFe修飾剤は定量に適した修飾剤であると言える。Z-2710での最大吸光度はZA3000と比較して低い。その理由は光温度制御カットオフ時の原子化温度のオーバーシュートの程度が相対的に低いためである9)。ホウ素の原子化においては高い原子化温度が有効である。Z-2710に用いてFe修飾剤を使用してホウ素を定量した際の検出下限値は2.6 µg L-1であった9)。これは既報と比較して1桁向上しており、FeはGFAASを用いたホウ素定量において有用な修飾剤であると言える。

図1 Ca修飾剤およびFe修飾剤使用時のホウ素の吸光度プロファイル
図1 Ca修飾剤およびFe修飾剤使用時のホウ素の吸光度プロファイル
a:Ca修飾剤, bおよびc:Fe修飾剤. aおよびb:ZA3000使用, c:Z-2710使用. ホウ素80 ng, 修飾剤20 µg.

図2はCaとFe修飾剤を用いて灰化段階まで昇温した後の黒鉛炉内壁表面を走査型電子顕微鏡で観察した結果である。Caは黒鉛炉表面を部分的に層状に覆い、黒鉛炉表面はところどころ露出している。Feは黒鉛炉表面を網目状に覆っており、黒鉛炉表面はほとんど露出している。この分布状態の違いは灰化段階までの挙動の違いを反映しており、ホウ素と黒鉛炉表面の相互作用に影響している。修飾剤の働きには、a)目的原子と安定な化合物を形成し、乾燥、灰化の段階において炉内から散逸することを防ぐ、b)炭素原子と積極的に反応を行い、目的原子が難分解性炭化物を形成することを防ぐ、c)夾雑原子と揮発性化合物を形成し化学干渉を低減するなどが挙げられる12)。Caはホウ素と安定な化合物を形成せず、またこの系ではcの働きを持たないことからbの機能を持つことが考えられる。Feの炭化物は安定ではなく、またcとしての働きもないことから、aの機能を持つと考えられる。

図2 灰化段階の炉内壁面の二次電子像
図2 灰化段階の炉内壁面の二次電子像
a:Ca修飾剤使用時, b:Fe修飾剤使用時. 白色部が修飾剤, 黒色部が黒鉛炉表面に相当.

分光学的なアプローチによるホウ素の原子化機構の解析

Fe修飾剤の添加時の化学状態は3価のFeイオンである。最終的には黒鉛炉内は2800 ~ 3000℃の高温になるため、Feは0価の金属まで還元されるが、乾燥・灰化段階において化学状態は炉内温度によって変化する。Fe修飾剤の働きを考える上でFeの化学状態は重要な情報である。元素の化学状態分析としてX線吸収微細構造法(X-ray Absorption Fine Structure XAFS)は効果的な手法の一つである13)。XAFS法はX線吸収スペクトルが目的元素の酸化数および周囲の局所構造に応じて変化することを利用して化学状態分析を行う手法で、元素選択性が高く、mg kg-1以下の濃度レベルでも適用可能で、気体液体固体の状態に左右されないなどの利点を持つ。XAFSは吸収端近傍のX線吸収端近傍構造(XANES)とより高エネルギー側の広域X線吸収微細構造(EXAFS)に分類され、本稿ではXANESを用いてFeの化学状態分析を行った。
図3は灰化温度789 Kから1975 Kまで変化させた際の灰化段階終了時の炉内のFe修飾剤のXANESスペクトルである。比較対象として参照試料のスペクトルを示した。通常、酸化化学種は高エネルギー側にピークを示し、還元化学種は低エネルギー側にピークを示す。参照試料との比較から黒鉛炉内のFeは灰化温度1026 K以下では3価のFe2O3と同じエネルギー位置にピークを示した。また低エネルギー側にショルダーが見られる傾向も類似している。1184 Kと1263 Kではピークのエネルギー位置はやや低エネルギー側にシフトし、Feは部分的に還元している。ピークのエネルギー位置はFe3O4に類似している。1342 Kと1501 Kではピークのエネルギー位置はFeOに類似している。1659 Kと1975 Kではピークのエネルギー位置はやや高エネルギー側にシフトし、ピークの低エネルギー側に顕著なショルダーが見られ、金属Feと類似している。

図3 Fe修飾剤のXANESスペクトル
図3 Fe修飾剤のXANESスペクトル
灰化段階終了時に測定. Fe2O3, Fe3O4, FeO, Fe metal, Fe3Cは参照試料. 破線は低エネルギー側がFeOのピークのエネルギー位置, 高エネルギー側がFe2O3のピークのエネルギー位置.

図4は灰化温度ごとのホウ素の吸光度を示したPyrolysis CurveとXANESスペクトルから求められたFe修飾剤の平均酸化数である。吸光度は灰化温度の上昇に伴い900 ~ 1300 Kで一定値を示し、その後減少し1400 ~ 1750 Kの範囲で再度一定値を示しその後減少する段階的減少傾向を示した。一方Feの平均酸化数は1026 KまではFe2O3やFe3O4が主要な化学種であるため高い値を示すが、1026 ~ 1501 Kの範囲ではFeOが主要な化学種になっているため徐々に減少し、1501 ~ 1659 Kでは急激に減少し、1659 K 以上では金属Feが主要な化学種であるため平均酸化数は0であった。両者の変化はおおよそ整合的であり、Fe修飾剤の化学状態がホウ素の吸光度に影響していることを示唆している。ホウ素定量においては高酸化数のFe酸化物が高い吸光度を得られることから、低灰化温度条件が測定に有利である。

図4 ホウ素吸光度の灰化曲線とFe修飾剤の平均酸化数
図4 ホウ素吸光度の灰化曲線とFe修飾剤の平均酸化数
上:灰化曲線, 下:平均酸化数.

表1は乾燥および灰化段階の各温度条件におけるホウ素の炉内残留率である。Fe修飾剤を添加しない場合、乾燥段階終了(573 K)で残留率は検出下限未満(3.3%以下)であった。Fe添加時は乾燥後のホウ素残留率は17.7%であり、乾燥終了時に約80%のホウ素が散逸している。灰化段階においては773 Kでは乾燥終了時とほとんど変わらない残留率であったが、1738 K以上では検出下限未満であった。黒鉛炉内に添加された後、溶存もしくは沈殿したFe化学種がホウ素と相互作用し、乾燥後に安定に取り込んだと考えられる。Fe酸化物やFe水酸化物はホウ素を吸着することが報告されており本結果と整合的である。Fe化学種によるホウ素の吸着がホウ素の散逸を抑制したと考えられる。また灰化時にはFe2O3やFe3O4はホウ素を保持し灰化終了時までホウ素を保持する。灰化温度が上昇しFeが還元されると保持能力は減少し、金属Feが主要化学種になる灰化温度では保持能力はほとんどない。

表1 ホウ素炉内残留率
初期添加量と昇温後のホウ素濃度から残留率を算出. ICP質量分析計でのホウ素の検出下限濃度は0.378 µg L-1.
昇温段階 修飾剤 絶対温度 /K 残留率 /%
乾燥 なし 573 <3.3
Fe 573 17.7
灰化 Fe 773 17.9
1073 11.7
1738 <3.3
2133 <3.3

速度論的アプローチによるホウ素の原子化機構の解析

原子化段階において等速昇温過程が成立する条件下では炉内壁の絶対温度と吸光度のプロファイルは速度論的解析を行うことが可能で、解析から原子蒸気を生成する反応の活性化エネルギー(Ea)と相転移に伴う標準エンタルピー変化(ΔH)を求めることができる12,14)。またPbやAuについて固相反応速度論に基づく速度論的解析法も報告されている15-18)。しかしホウ素は高温原子化元素であるため等速昇温過程において吸光度プロファイルを得ることが簡単ではない。
図5はGFAAS Z-2710におけるFe修飾剤添加時のホウ素の時間 - 吸光度プロファイル(80 ng B, 20 µg Fe, 灰化温度947 K)および炉内温度のプロファイルである。吸光度最大が得られる時間が光温度制御機構によるカットオフ時のオーバーシュート後の定常状態の範囲であることがわかる。従って速度論的解析を適用できる等速昇温過程での吸光度は原子化段階のごく初期に限られる。この条件での等速昇温過程は t = 0.12 sから0.94 sの範囲で、絶対温度では T = 1260 Kから2710 Kの範囲であった。最大吸光度Amaxと時刻tにおける吸光度Atから求められる反応率α = At/Amaxは平均で31±19%であった。そのため等速昇温過程におけるαが高い値を前提とする解析法は条件が適合しない11)

図5 ホウ素の吸光度プロファイルと炉内温度の関係
図5 ホウ素の吸光度プロファイルと炉内温度の関係
Fe修飾剤使用, Z-2710使用, ホウ素 80 ng, Fe修飾剤 20 µg. 炉内温度は放射温度計(コニカミノルタ TR-630)で測定.

Sturgeon法は炉内絶対温度と吸光度プロファイルの速度論的解析法の一つで、全ての化学種の活量が変化しない僅かな時間でαが一定となるような定常状態が成立する過程において、原子蒸気生成の速度定数と原子蒸気の蒸気圧PM(g)の間に比例関係が成立することを前提にしているために、アレニウス型のプロットにおいてAmaxを必要としない特徴があり、原子化段階における既原子化量の変化が未原子化量に対して無視できるほど小さい範囲においてEaを与える14)。Sturgeon法の適応範囲は概ねα = 30%までの範囲であり、ホウ素のように等速昇温過程で吸光度が得られる範囲が狭い場合に適している。

Sturgeon 法でのアレニウス型の式は次のように書け、

(eq.1)

ここでRは気体定数、Tは炉内温度、A0は定数である。T-1とlnAtのプロットの傾斜からEaとΔHが求まる。
図6はFe修飾剤使用時の灰化温度974 Kと1740 K におけるホウ素のT-1とlnAtのプロットである。それぞれの灰化温度において原子化時間 t = 0.80 ~ 1.0 sと t = 0.40 ~ 0.60 sの範囲で直線関係が得られた。図4の Pyrolysis Curveで見られるように900 ~ 1300 Kの範囲と1400 ~ 1750 Kの範囲ではホウ素の原子蒸気生成反応が異なると考えられる。Sturgeon法によって求めたEaは灰化温度900 ~ 1300 Kの範囲について平均799±72 kJ mol-1、および1400 ~ 1750 Kの範囲で平均485±78 kJ mol-1であった。

図6 ホウ素吸光度のアレニウスプロット
図6 ホウ素吸光度のアレニウスプロット

表2は物理化学的に仮定できるホウ素化合物の原子化反応とホウ素原子1モル当たりのΔHを示した19)EaとΔHを比較すると、灰化温度900 ~ 1300 KにおけるEaは酸化物の分解反応 eq.2(ΔH = 789 kJ mol-1)および eq.3(ΔH = 821 kJ mol-1)に近い値を持ち、1400 ~ 1750 KにおいてはB4Cの分解 eq.4, 5, 6 (ΔH = 555, 493, 484 kJ mol-1)に一致した。従って図4のPyrolysis Curveの900 ~ 1300 Kではホウ素酸化物の分解が律速段階であり、1400 ~ 1750 Kではホウ素炭化物の分解が律速段階であると考えられる。灰化温度によってFe修飾剤の酸化数が変化するためホウ素の灰化段階での化学状態が変わり律速段階が変化した。

表2 ホウ素の原子蒸気生成時のモデル反応とΔH
モデル反応 ΔHr /kJ mol-1 eq. No.
【ホウ素酸化物の分解】
BO(g) → B(g) + O(g) 789 eq.2
B2O3(g) + 3C(s) → 2B(g) 3CO(g) 821 eq.3
【ホウ素炭化物の分解】
2B4C(s) + O2(g) → 8B(g) + 2CO(g) 555 eq.4
B4C(s) + O(g) → 4B(g) + CO(g) 493 eq.5
B4C(s) + O2(g) → 4B(g) + CO2(g) 484 eq.6

まとめ

黒鉛炉原子吸光法を用いたホウ素の測定においてFe修飾剤が従来の修飾剤と比較して有用である。ホウ素の吸光度は灰化温度の上昇に伴い段階的に減少した。分光学的アプローチから、吸光度の減少とFe修飾剤の平均酸化数の減少は概ね一致しており、還元化学種であるFeOや金属Feがホウ素を安定に保持できないために吸光度が減少したと考えられる。速度論的アプローチから、各灰化温度条件における律速段階が示され、酸化的なFe化学種が支配的な条件(900 ~ 1300 K)ではホウ素酸化物の分解が律速段階であり、還元的なFe化学種が支配的な条件(1400 ~ 1750 K)ではホウ素炭化物の分解が律速段階であることが示された。これらの検討からホウ素定量においては低灰化温度が適していることがわかった。原子化機構を詳細に解析することで、測定が困難な元素についても分析性能の向上が期待される。

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