田中SEM研究所通信 低真空走査電顕観察「虎の巻1」
最近、低真空走査電子顕微鏡(LVP-SEM*1)が普及してきて、いろいろな分野で使われるようになった。LVP-SEMは従来型のSEMに比べて特別な長所を持っているから、それも当然かなとも思うのだが、研究者は本当にその長所を知って、上手く使っているのだろうか。噂によれば、かなり怪しいようである。
そもそも、メーカーのカタログ写真にしても、「低真空モードにて撮影」としてはあっても、何Paか明記していないものがある。これではLVP-SEMの特徴である「水分を蒸発させない」で撮影しているのかどうか分からない。 やはり、使用真空度、温度を明記すべきであろう。
ユーザーの方も同様に、使用条件に注意を払って使わねば、折角のLVP-SEMの価値が活かされないことになる。
ではどのようにしたらいいのか、このシリーズでは、LVP-SEMの使用法を当研究所の秘伝「虎の巻」から抜粋して述べることにする。
はじめに
低真空SEMの特徴は二つある。
一つは、従来のSEM観察に必須であった金属被着*2を、しないで観察出来ることである。
ガラス、プラスチック、乾燥した生物試料などがそのままで、チャージアップなしに観察出来る。これは至極便利なことである。
最近のように忙しい世の中では大変大きな福音であろう。しかし、「金属被着なしの観察は低加速電圧SEMでも出来るではないか」といわれるかもしれない。でも、これには高価な電界放射型電子銃を備えた装置が必要である。
手軽にチャージアップなしの観察をしようと思えば、LVP-SEMの方に軍配があがる。
もう一つの特徴は、含水試料の観察が可能なことである。
これは他の装置にない優れた性質である。動植物のように多量の水分を含んだ試料では、含水状態のまま観察した方が乾燥試料より、より自然に近い姿をしめすことは言うまでも無い。
例えば、培養細胞の微細な突起など。通常の乾燥標本では、針金細工のように直線的になったり、折損していたりするが、LVP-SEMではあたかも生きているように、緩やかなカーブを持って現れてくるのである。この長所から、LVP-SEMは形態学にとって大変大切な装置といえる。
しかし、この装置があれば、含水試料は何でもかんでも簡単に見られるかというと、なかなかそうではない。
試料の乾燥を防ぐために試料室の真空を下げるのだが、真空を下げれば、当然のことながら電子が散乱され、シグナル量は減衰する。乾燥を防ぎながら良い像を得るにはどこまで真空を下げて良いのか、その条件を知ることが大事になってくる。そして、それが解るようになるには、やはり、ある程度の知識と経験が必要である。
以下、どうしたらLVP-SEMをうまく使うことが出来るか、また、解決すべき問題はどんなものがあるか、回を追って述べることにする。
まず低真空モードで像を出してみよう
研究室に新しく、LVP-SEMが導入されて備え付けられたとしよう。
そして、まず手始めに庭の草木の葉を採って低真空モード(例えば270Pa)で見たとする。その時、もしその研究者が全くの初心者であったら、恐らく、画面は「砂あらし」状態で何も見えないことであろう。あわてて二次電子モードに変え、標準試料を見ると、思い通り良く見える。きっと彼は「なんだ、この器械は!低真空なんて使い物にならない。」と、低真空モード観察が嫌いになり、乾燥、金属被着、二次電子観察という、従来の方式だけに装置を使用するようになることであろう。
このような話をよく噂に聞くのだが、これでは折角の器械が可哀想である。なぜ像が出なかったかを考えてみたらどうだろうか。
まず、低真空観察の時には、
(1)反射電子が用いられる(反射電子型LVP-SEMの場合)。また、(2)低真空の中ではビームの電子が拡散される、
ということをまず理解して欲しい。
これらのことから通常の二次電子での観察条件では、像を得るに充分なシグナルは得られないのである。
それではどうするかというと、コンデンサーレンズを開いてビーム電流を増やしてやればよい(コンデンサーレンズを開くと、ビーム径は大きくなり、分解能的にはマイナスになるが、この際は無視する)。
据付の時には、メーカーの技術者が分解能写真を撮る必要もあって、二次電子観察用にコンデンサーをかなり絞っていることであろう。だから、そのままの状態で低真空モードにしたら、とても良い像は得られないのである。
コンデンサー電流の増減を、つまみで行う機種(例えばS-2250NやS-2460Nなど)であれば、コンデンサーつまみを2メモリ位下げてやる(例:11から9へ)。電流値が画面に表示される機種ならば、二次電子観察用から反射電子観察用に値を変えてやる。そうすれば、像が出てくることであろう。
図1は、LVP-SEMで撮影したシソの葉の裏面で、丸い玉はシソの芳香を入れた袋である。
この図のように、低真空モードでは乾燥試料では見られない生き生きとした葉の姿を見ることができる。
低真空観察の嫌いな方、まず一度、試してみたらいかがだろうか。
もしコンデンサー電流値を変えてもまだ像が出なかったら、もう1つの点をチェックして欲しいのだが、大抵の場合、コンデンサー電流の増加だけで上手くいく。
だからそれはまた、つぎの回ということにしよう。
シソの葉は薬味野菜として使われるので、「オオバ」と称して年間を通じスーパーマーケットなどで購入できる。
したがって、誰でも、何処でも、使用できる便利な試料である。低真空モードで像を出す練習に一度試してみたらどうだろう。この撮影条件は、試料まわり雰囲気の飽和水蒸気圧条件(次回に解説予定)を満たしていないが、シソの葉などは、短時間の観察であれば充分使用出来る。
はじめから270Paに挑戦すると初心者には難しくなるし、クールステージの付いていない装置もあるだろうから、この例をしめした。
試料作製法:シソの葉を適当の大きさに切り、市販のヤマト糊で試料台にはりつけ、そのまま観察する。
*1 LVP-SEM:従来、低真空走査電顕の略語としてはLV-SEMが用いられることが多かったが、これは既に低加速電圧走査電顕に使われており、その方面からクレームが出ていた。それで、低電圧のLVと区別するために、Low vacuum pressureの頭文字をとってLVP-SEMとした。まだ一般に承認されたものではないが、ここではこれを以後使用する。
*2 被着:Coatingの日本語訳。走査電顕に金属膜をかぶせる時はイオンコーターを用い、イオンで金属表面の原子を飛散させて、これをかぶせる(spatter coating)。だから金属を加熱、蒸散させてかぶせる蒸着(evaporation)とは異なる。したがって、走査電顕の時に、蒸着というのは誤りであって、不適当である。ではどうするか。 飛散着というのは語呂が悪いので、金、あるいは白金被着とするのがいいと思われる。
*3 田中敬一: 紫蘇の香り袋(田中敬一のミクロ散歩,その3)、ミクロスコピア(藤田恒男編)Vol.15、No.1、pp.4-5、考古堂書店、新潟、1998.より転載。(考古堂書店:FAX 025-224-8654)