Observation of graphene on SiC using various types of microscopy
徳島大学 大学院 ソシオテクノサイエンス研究部 教授
永瀬 雅夫 (工学博士)
グラフェンは2004年に英国の研究者によりその単離技術が確立され、2010年のノーベル物理学賞受賞を経て、今なお、話題に事欠かない炭素ナノ材料である1, 2)。グラフェンは高い移動度3)、高い機械強度4)等、数多くの興味深い物性を秘めており、その応用可能性は非常に広範な領域に及ぶ。グラファイト片と粘着テープを用いた剥離法という非常に簡便な作製方法が広く普及している一方で、産業レベルでの高品質単結晶グラフェンの作製技術確立の道のりは遠い。
我々の研究グループでは高品質単結晶グラフェン実現を目標にSiC上エピタキシャルグラフェンに関する研究を行っている。単結晶SiCを不活性ガス雰囲気中で高温加熱することによりSiC基板からシリコン原子を熱脱離させグラフェンを作製する手法である5)。4H-SiC(0001)等のSi面を用いることにより下地の単結晶SiCに対してエピタキシャルにグラフェンが成長することから原理的にはウエハスケールの単結晶グラフェンが得られる。
酸化膜付のシリコン基板上に転写したグラフェンは、その光学的な特性を利用して光学顕微鏡で層数同定することが可能である。これがグラフェン研究が盛んである1つの理由でもあるが、SiC上グラフェンでは低エネルギー電子顕微鏡(LEEM)6, 7)や角度分解光電子分光法(ARPEP)8)のような特殊な技法が多く用いられ、限られた研究者のみが対象としていた。しかし、我々の経験上は、広く普及している走査プローブ顕微鏡等でも評価は可能である。本稿では、これまで我々の研究グループで行ってきた各種顕微鏡法によるグラフェンの評価結果の一端を述べる。
不活性ガス雰囲気中でのシリコン昇華法によるグラフェン形成には1,600°C以上の温度での熱処理が必要である。一般的には誘導加熱方式の加熱装置が用いられているが、我々は、制御性と均一性に優れる赤外線加熱方式を採用している8)。図1(a)は装置の概観である。回転楕円体ミラーの1つの焦点に2kWの赤外線ランプを、もう1つの焦点に試料を設置してある。試料は不活性ガス(減圧Ar)を満たした石英管内のカーボン製のサセプタに載せられている。試料サイズは石英管径に制限され最大15 mmφである。図1(b)に作製したグラフェン試料の外観を示す。10 mm角にダイシングした4H-SiC(0001)基板を標準的に用いている。
図1 (a)超高速高温赤外線加熱炉の概観、(b)単結晶単層グラフェン試料
SiC上グラフェンの厳密な層数同定にはLEEM6)が必要であることが知られている。また、グラフェンの層数同定に広く用いられている顕微ラマン分光法では、酸化膜付シリコン基板上のグラフェンと大きく異なるスペクトルが得られるため層数・膜質評価には経験と細心の注意が必要となる9)。これまでに我々は、SiC基板上に均一な単層グラフェンを形成することに成功しており、これを基準とすることにより、各種の顕微鏡法によりSiC上グラフェンがどのように観察されるかの知見を蓄積してきた。特に、走査プローブ顕微鏡を用いた層数同定技術を経験的に確立して、その膜質の評価を行い、高品質化を進めてきた。ここでは、走査プローブ顕微鏡によるSiC上グラフェンの評価の例を示す。走査プローブ顕微鏡としてSPA400(旧 エスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社、現 日立ハイテクサイエンス製(以下、SII-NT社製))を用いている。
図2に大気中で走査プローブ顕微鏡(SPM)観察(DFMモード)したSiC 上グラフェンの形状像と位相像を示す。試料は1,820°C Ar 600 Torr中でSiC-Si面上にグラフェン作製を行っており、概ね90%程度の表面が単層グラフェンで覆われている。図2(a)の形状像からは基板SiCの結晶構造に由来するステップ-テラス構造のみが見て取れる。図2(b)の位相像には暗い領域が複数観察されこの領域が2層グラフェン領域である。この例ではステップ高さが1 nm以上のステップ端(図2(a)矢印)から下側のテラス上に2層領域が形成されている。
図2 SiC上グラフェンの走査プローブ顕微鏡像(a)形状像、(b)位相像
この状況をさらに詳細に検討した結果を図2に示す。図3(a)に示すように2層領域はステップ下側のテラス内に0.14 nmの高さで観察されている。この状況を図示すると図3(c)のようになる。SiC上グラフェンはバッファ層と呼ばれる界面カーボン層(6√3x6 √3構造)の上に成長することが特徴であるが、成長の様式は通常にエピタキシャル成長とは異なり、下側の層が上側の層よりも後に成長する。すなわち、2層部分(図3(b))のバッファ層が既存のバッファ層の下側に成長することによりその部分の元々のバッファ層がグラフェン化する。この事例では、その様子がSPM形状像と位相像から明瞭に判別できる。このような検討を通してグラフェン成長メカニズムの理解が進み高品質化を行うことが出来た。
図3 (a)2層領域を含むSPM形状プロファイル、(b)SPM位相像、(c)構造概略図
図4(a)は作製条件の最適化を行い得られた高品質単層グラフェンの表面プロファイルである。挿入図の形状像にあるように良く揃ったステップ-テラス構造が試料全面(10 mm角)で得られ、図4(b)に示す様にそのステップ高さは0.5 nm(SiC2層分)となっている。高さはSiC結晶構造定数で規定されているため高さ標準として用いることが出来、SPMのZ感度(ピエゾの補正係数)の補正を行うことも可能である。
図4 単結晶単層グラフェン表面(a)形状プロファイル、(b)高さヒストグラム
グラフェンは機械的特性にも優れ、その機械物性には興味深い点が多い。摩擦力は機械物性の代表的な例であり、その定量評価は重要である。図5はSiC上グラフェンの摩擦力顕微鏡(FFM)像の一例である。図5(b)の摩擦力像で中央の部分の2層グラフェン領域が周囲の1層グラフェン領域に比べて摩擦力が小さいことが判る。プローブの先端形状を把握した上で、荷重依存性を取得すれば定量的な摩擦係数を導出することも可能である。
図5 摩擦力顕微鏡像(a)形状像、(b)摩擦像
グラファイトでは以前より原子レベルでの摩擦像が比較的容易に得られることが知られている。図6にSiC上グラフェンの原子レベルでの摩擦像を示す。基板SiCの結晶方位を目標に走査方向を決めてある。グラフェンハニカム格子の六員環部の中央(hollow site)が画像化されることが知られており、原子像ではないが原子レベルの摩擦像が得られている。SiC上グラフェンの場合、結晶方位が既知であるため、図6の様に決まった方位の摩擦像が容易に得られる。
図6 グラフェン摩擦像の走査方位依存性(a)SiC[-1100]、(b)SiC[11-20]
SiC上グラフェンは試料全面にグラフェンが形成されるため、断面試料作製は容易である。集束イオンビーム(FIB)加工で試料作製を行ったSiC上グラフェンのH-9000による断面透過電子顕微鏡(TEM)像を図7に示す。図7(a)ではグラフェン、バッファ層とSiCは黒いコントラストとして観察される。カーボン材料一般の特徴である電子線照射損傷はグラフェンでも問題となるため、試料厚さはあまり薄くすることは出来ないが、マルチスライスシミュレーションを参考にしてグラフェンのコントラストを予測し仕上げ加工で調整を繰り返すことにより、試料の実効厚みが30 nm程度が最適であるとの結果を得ている。しかし、試料厚みを完全にコントロールすることが出来ないため、実際には試料内にわずかに厚みの異なる箇所が出来てしまう。図7(b)は(a)と同一試料内のほぼ同じ箇所をTEM観察した結果であるが、SiCのコントラストが反転してしまっている。その様子を図7(c)に示してあるが、このような状況ではグラフェンと基板の層間距離を正確に決めることが困難である。STEM-ADF(annular darkfield)を用いてZコントラスト像を得ればこのような問題は起こらないが、STEMの電子線照射量は通常のTEMに比べて大きくなるため損傷が大きく、精密な計測が行えない。グラフェンとSiC基板との相互作用を理解する上でも層間距離は重要であり、今後の課題である。
図7 (a), (b)SiC上グラフェン断面TEM像、(c)(a)と(b)の比較
我々のグループではこれまでに走査プローブ顕微鏡用のプローブをFIBを用いて機能化する研究を行ってきている。集積化ナノプローブとして自己検知型プローブ先端部をFIB加工で四探針化したプローブ10)や、FIB化学気相成長法(CVD)により作製したスプリング付ナノカーボンプローブを持つ四探針プローブ11, 12)、30 nm級のギャップ電極を先端部にFIB加工した二端子プローブ13, 14)を作製してきた。図8に最も基本的な構成であるFIB-CVDにより作製したナノカーボンプローブのSEM像(S-5000使用)と概略図を示す。Rhコートの導電性プローブ上にFIB-CVDカーボンを堆積することによりプローブ先端部を機能化してある。ナノカーボン堆積にはSMI3050TB(旧 SII-NT社製)を用いている。FIB-CVDカーボンのナノピラーの中央部コアはGaを多く含むため導電性がある。ナノプローブ先端部の導電性領域の大きさはGaビームプロファイルから10 nm以下であることが期待される。
図8 ナノカーボンプローブのSEM像と概略図
図9はE-sweep(旧SII-NT社製)を用いて真空中で測定したSPM形状像と電流像である。電流像において高い分解能が得られており、ナノプローブとして十分に機能することが判る。
図9 ナノカーボンプローブにより測定したSPM像(a)形状像、(b)電流像
SiC上グラフェンの主に走査プローブ顕微鏡の観察結果の一端を紹介した。SiC上グラフェンは剥離グラフェンに比べて移動度が低い等の問題があり、一般には品質が劣ると考えられている。しかし、一方でウエハスケールで単結晶グラフェンが得られる優れた手法である。その高品質化には各種評価手法による定量評価が必要である。現状で、顕微ラマン分光法等の各種顕微鏡法を駆使して作製条件の最適化を行い、一般的な剥離グラフェンと同等の膜質が達成されている15)。さらなる高品質化に向けて各種の課題の解決を行う予定である。
SiC上グラフェンは比較的大面積の均一試料が得られるため、各種顕微鏡用の試料としては好適である。物性値も安定しているため、各種物性の標準試料としても利用することが可能である。本稿でも示したように段差の標準として利用できる。また、表面状態が安定しているため、摩擦係数を始め各種機械物性、さらに、表面電位、電流計測(コンタクト特性16, 17))等の標準的な試料としても利用可能である。
参考文献
謝辞
本研究の一部はJSPS科研費26289107、22310086、 及び、A-STEP FS探索タイプ(AS231Z00351B)の助成を受けて行われた。また、一部の結果はNTT物性科学基礎研究所との共同研究の成果である。
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