プロジェクト概要
半導体の性能は近年、高度化・複雑化の一途をたどっている。世界の半導体デバイスメーカーにとって、製品に合わせた生産体制をいち早く構築することは、ビジネス上の重要課題だ。
そのなかで大きな役割を果たすのが、日立ハイテクの半導体計測装置である測長SEM(CD-SEM Critical Dimension-Scanning Electron Microscope)だ。世界トップシェアを持ち、海外顧客も多い。こうした環境のなか、「海外で仕事をしたい」という思いを抱いていた亀田。チャンスは思わぬ早さでやってきた―。
[プロジェクト推進者]
ナノテクノロジーソリューション事業統括本部
評価解析システム製品本部
評価ソリューション開発部
亀田
Kameda
2014年入社
[プロジェクトチームの主要メンバー構成]
- 評価・検証エンジニア(国内・海外)
- サービスエンジニア
- 営業
韓国への出向。
大手半導体
「韓国、行ってもらうことになったから」。上司の言葉を、亀田は驚きと喜びの入り混じった気持ちで聞いた。グローバルに事業展開する日立ハイテクにおいて、海外への出張や出向は珍しいことではない。亀田自身もかねてから海外で仕事をしたいと思っており、上司にも希望を伝えていた。
とはいえ、当時の亀田はまだ入社4年目の若手。タイミングとしてはかなり早い。しかも、韓国の大手半導体デバイスメーカー・S社の担当として、製品検査における技術サポートや現地エンジニアの育成などを任されることになったのである。
S社は世界的な影響力も大きく、日立ハイテクにとっての重要顧客である。当然ながら技術的な要求も高い。もともと亀田は韓国顧客関連の仕事を担当してはいたが、現地で直接やり取りをするとなると、ミッションの重みが全く異なる。メンバーは亀田一人。20代のエンジニアが託される仕事としては、非常に大きなものといえた。
当然、不安はある。しかしそれ以上に、責任ある仕事に挑戦できるという充実感が亀田を包んでいた。「自分にしかできないことが、たくさんあるはずだ」。2017年、期待を胸に亀田は韓国へ飛んだ。
自分の常識=世界の常識、
亀田のミッションは、S社から日々寄せられるニーズを直接ヒアリングし、最も効率的な検査体制を構築すること。顧客と密にコミュニケーションを取りながら、検査機器の活用方法や設定の仕方、追加すべき機能などを検討・提案するのだ。また同時に、出向先である「Hitachi High-Tech Korea(以下HTK)」の若手エンジニア育成も託されている。顧客や現地スタッフとの信頼関係構築が、最も大きな鍵となることは明白だった。
使命感に燃えて現地入りした亀田だったが、現実は甘くなかった。「どうすればいいんだ……」。顧客が抱える問題に対して、エンジニアとしての経験則から解決策を提示するものの、全く受け入れてもらえない。HTKのスタッフとも仕事の進め方がかみ合わず、コミュニケーションが行き違ってしまう。これまでの常識が通用せず、もどかしい思いを抱える日々が続いた。
亀田の仕事が滞れば滞るほど、S社の生産体制が改善される時期もどんどん遅くなる。しかし、激しい開発競争を繰り広げるS社としては、スピードが命なのだ。それだけに、亀田の焦りは募った。
理解できるまで、
「まずは相手を理解しなければ」。亀田の導き出した答えは、シンプルだった。人と人が信頼関係を築くには、近道はない。それならば、とことん相手と向き合い、理解できるまで根気よく接点を持つしかないのだ。亀田はS社との打ち合わせに足しげく出向き、打ち合わせ以外のわずかな時間も極力、担当者とのやり取りに費やした。また、HTK社内でもエンジニアだけでなく、営業、メンテナンススタッフなどあらゆる部署のメンバーに声をかけた。過去、S社とどんな付き合い方をしてきたのか。これまでにどんな問題が起きていたか。問題をどうやって解決したか……。大小さまざまな情報を集め、解決のヒントを探し続けた。
数々のトライアンドエラーを繰り返しながらも状況は好転。過去の事例を知ることで解決策を素早く導き出せるようになり、韓国の文化的背景や価値観なども徐々に見えてきた。「この人の立場なら、こういう目標を達成したいはずだ」といった推量ができるようになり、社内外でのやり取りもスムーズに。感謝の言葉をかけられる頻度も増えていった。
2年後――韓国での任期を終えて帰国した亀田。相手の立場に配慮した献身をし続けた彼は、最終的にS社からは要望だけではなく、課題の相談を受けるほどの信頼を得ることができていた。相談を通して課題の本質を知ることができれば、顧客が求める以上の提案ができる。S社にさらに一歩踏み込める密な関係性を築くことができたのだ。また、日本の工場との橋渡しになるHTKの中核エンジニアを育て上げることもでき、よりスムーズなソリューション提供が可能になった。韓国での2年間の歩みは、彼自身だけではなく、会社をも大きく前進させたのだ。
POINT
1
入社4年目で海外へ出向し、
大手顧客を任された。
2
相手を理解できるまで、
粘り強くコミュニケーションを
取り続けた。
3
自分の常識にとらわれず、
さまざまな意見
を柔軟に取り入れた。